QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 5人
プロフィール
レゴ大好きっ子
レゴ大好きっ子
オーナーへメッセージ

屋島の洞窟。

2014年04月23日

30年ぶりにここに来ました。
屋島の洞窟。
屋島の洞窟は、遍路道(登山道)の途中2カ所にあります。
屋島の洞窟。
2カ所と言っても離れている訳ではなく、
屋島の洞窟。
いくつかの洞窟が2カ所にまとまっているのです。
屋島の洞窟。
人工の洞窟。
屋島の洞窟。
掘り方が、鬼ヶ島洞窟とそっくりです。
屋島の洞窟。
鬼ヶ島洞窟は、いわれが残っていませんが、
屋島の洞窟。
屋島の洞窟は昭和初期まで、
屋島の洞窟。
「屋島の黒石」を採掘する場所だったということです。
屋島の洞窟。
屋島の黒石と同じ材質の豊島石を採掘していた、
屋島の洞窟。
豊島、小豆島、男木島そして女木島(鬼ヶ島)に同様の洞窟=採石場が残っているそうです。
屋島の洞窟。
どの島も豊島の石工がやってきて採掘したようです。
屋島の洞窟。
屋島の洞窟の地理的位置から考えると、
屋島の洞窟。
高松から陸続きにやってくる不便さより、
屋島の洞窟。
瀬戸内の島々から船でやってくる方が自然です。
屋島の洞窟。
話がそれますが、鬼ヶ島洞窟は1914年(大正3年)郷土史家・橋本仙太郎によって発見されました。
屋島の洞窟。
この当時(日本が世界に進出して行った)の社会は、キリストやソロモン王、ジンギスカンが日本で活躍したとか、
屋島の洞窟。
日本にもピラミッドがあったなどと言う伝説や発見が生まれた時期であり、
屋島の洞窟。
鬼ヶ島洞窟も採石場と伝えられていたのが伏せられて、
屋島の洞窟。
桃太郎伝説と結びつけられたのかも知れません。
屋島の洞窟。
橋本仙太郎さんは、
屋島の洞窟。
私の母が紫雲中学1年のときの担任のご尊父だそうで、
屋島の洞窟。
授業中ことあるごとに
屋島の洞窟。
鬼ヶ島洞窟発見の話を聞かされたそうです。ニコニコ
屋島の洞窟。



Posted by レゴ大好きっ子 at 22:44│Comments(2)
この記事へのコメント
屋島山上にあるホテル望海荘と申します。洞窟の情報をお客様より伺い調べていたところ、このブログにたどり着きました。山上の方は高齢となっており情報が受け継がれないまま、若手にお店等、引き継がれているのが現状です。この情報をもとにスタッフで散策に出かけようと思います。北嶺の魅力として多くの方に発信できたらと思います。貴重なお写真とともに情報をありがとうございました。
Posted by 望海荘 at 2017年03月21日 20:56
望海荘さま、コメントありがとうございます。
少しでもお役に立てたならなによりです。
屋島の洞窟は、会社のレクリエーションで屋島の登山道から
登ったあと、自由解散になり、興味があるメンバーだけで行きました。
遊鶴亭の先を下って行くと道の途中にあります。
あとは浦生まで歩いてバスで帰ったので軽装でした。
30年ぶりでしたが結構面白かったです。
安全が確保できれば魅力的な観光資源になるかもしれません。
ぜひ訪ねてご覧になってください。
Posted by レゴ大好きっ子レゴ大好きっ子 at 2017年03月22日 18:37
※会員のみコメントを受け付けております、ログインが必要です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
屋島の洞窟。