土佐電鉄の1
2012年06月29日
護衛艦「いせ」のあとは、土佐電鉄の桟橋車庫・工場へ。道路の真ん中にある、路面で貨車の線路が分岐、カーブして車庫・工場に入ってゆきます。石畳の舗装がとても綺麗です。車庫の途中は小川があり、線路橋の上を渡ります。川には、小魚がたくさん泳いでいます。整備が済んだ車両なのか、これからなのか、たくさん並んでいます。
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23:17
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「いせ」の5
2012年06月29日
エレベータの昇降は、艦内からはこの操作盤を使用します。艦上にも操作盤があります。右舷側にある、シリンダーを伸縮、シリンダー先端のシーブが移動、シーブに巻かれているワイヤロープがエレベータを昇降します。格納庫から見ると、エレベータは最上甲板と面一になって、さらに10センチほどオーバーラン(光がもれています)します。エレベータの周囲からガイドピンが伸長します。その後、エレベータは10センチほど下降し、最上甲板と面一になります。降りるときも、いったん10センチほど上昇、周囲のガイドピンが縮小してから、エレベータが降りてきます。赤城や加賀、飛竜,蒼龍・・・その他の空母の昇降機もこれと同様な構造だったのでしょうか。護衛艦「いせ」、香川県には7月15日、16日に坂出林田港に入港、一般公開します。
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22:27
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「いせ」の4
2012年06月28日
格納庫からエレベータで再び甲板へ。艦橋を見上げながら・・・やはりあっという間、短時間です。
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22:45
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「いせ」の3
2012年06月28日
甲板には、搭載している25tクレーン。KOBELCOのパンサーXが。大きなクレーンも「いせ」のエレベータで昇降します。プロジェクター・ヘッドライトの横には「いせ」の文字と軍艦旗が貼られています。
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22:09
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「いせ」の2
2012年06月28日
今回、一般人が館内に入ることが出来たのは巨大な格納庫とその脇のトイレまで。男子トイレは階段を降りたところにあります。通路はかなり長いです。トイレの止水栓はレバー式です。こんなこともあろうかと。。。???
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18:45
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「いせ」の1
2012年06月27日
護衛艦「いせ」に乗艦してきました。6/24。雨の高知新港。「いせ」は平成23年3月就役した、ヘリコプター搭載護衛艦であり、「ひゅうが」型護衛艦の2番艦です。「いせ」というと、帝国海軍の航空戦艦「伊勢」を想起します。「伊勢」型戦艦の2番艦は「日向」で、このネーミングは当然の組み合わせでしょうか。最上甲板には、哨戒へりが1機。へりは、航海中など通常は艦内に駐機です。格納庫と最上甲板の往復は、エレベータを使います。エレベータに乗るとあっと言う間に格納庫まで運んでくれます。その間、およそ30秒ほどでしょうか。
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20:36
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羊蹄丸の6。
2012年06月25日
羊蹄丸の最終公開が終わってもう2週間になりますが、やっとアップしていなかったブリッジの中です。羊蹄丸が東京の船の科学館に繋留、展示されていたんですが、このレバーは、ここを訪れたたくさんの人が「ガチャガチャ」と動かしてみてたんでしょうね。船の科学館って、「戸締まり用心火の用心」、「一日一善」の日本船舶振興会ですよね。私が船の科学館に行ったのは、中学生のときです。その頃、宇宙科学博覧会=大宇宙博をやっていて、テレビでしょっちゅう宣伝していたので、それではと、家族そろってでかけました。1978年頃になります。アポロ計画の実物ロケット、サターン1Bが横倒しになって展示されていたり、宇宙空間でサターンロケットの一段目切り離しを巨大スクリーンで映していたのを憶えています。スペースシャトルなど知らない時代、アポロ計画がとっくの昔に中止になっていたことも知らなかったから、実物のサターンロケットが何故ここにあるかなんて考えることもなく。「アポロを作ったアメリカはすごいなぁ」、とか「これからは宇宙の時代だ」などと素直に考えていたのでしょうか。そういえば、当時は「宇宙戦艦ヤマト」や「スター・ウォーズ」、「宇宙からのメッセージ」などSFでも宇宙を題材にしたものが多かったですね。SFというと宇宙だったように思います。船の科学館自体も今は休館していて、開館予定はないようです。おまけに、万世橋(秋葉原)の交通博物館にあった、羊蹄丸の同型艦、もとい同型船「津軽丸」の模型を。上の写真はブリッジから錨を巻上げるウインチを見下ろしたところですが、模型だとブリッジとウインチはこんな配置です。黄金色のチェーンやウインチが綺麗ですね。
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21:30
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羊蹄丸の5。
2012年06月19日
ファンネルマークは国鉄時代のJNRになっています。少し風があります。風速計・・・ブリッジの表示器につながっています。デッキ後方、連絡船就航当時はふつうに船室からデッキに上がるときに使用していた階段ですが、今は出入り禁止です。ここも出入り禁止、イルカの乗り物や、水中スクータが置いてあった部屋にある、オレンジの大型扇風機が見えます。ここも煙突??それともマスト???羊蹄丸のカラーはクリーム色とえんじ色です。ウィキペディアによると、このえんじ色は昭和33年登場の特急こだま号の窓まわりの色と同じです。ボディのクリーム色は少し違うようです。羊蹄丸から話がそれますが、東京-大阪を一日で行って帰ることができる「こだま」は、私が生まれた昭和39年には新幹線こだま号になり、特急こだま号は直前に廃止になっています。当時いろいろな乗り物や音、光の速さを比較した絵本がありました。SLや自動車、鳥、動物、それに光や音とこだま号やつばめ号が競争して、"月"まで行くとしたら、いくにちかけて走行するか、を比較した内容でした。こんな記事憶えている方いませんか??
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18:01
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羊蹄丸の4。
2012年06月18日
船内には、連絡船の部品(ディーゼルエンジンの弁)や、舵輪、浮き輪にメータや帽子・・・わりに雑然と展示してあります。乗船記念切符も、おなじところに並んでいます。これらの展示品はこの先どうなるんでしょうか???製造銘板が展示されていますが、今は船体に他のが付いているんでしょうか。それにしても船の大きさに比べると小さいです。小さくていいんですが・・・船底にある、ディーゼルエンジンの一部が上から覗けるようになっています。船底ツアー(1回につき10名限定)の整理券をゲットした方々は、エンジンの横を通って機関室など詳しく見ることができたのです。
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10:26
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羊蹄丸の3。
2012年06月17日
青函ワールドを出て、羊蹄丸に最初に乗り込んだフロアに戻ると、当時の事務員さんと、飾り毛布研究の第一人者の先生が、ちょうど「飾り毛布」の講演・実演をしていました。飾り毛布とは、乗客を楽しませるために、客室の毛布を立体的なオブシェのように演出していたものです。いろいろな形状があり、「竹の子」「大輪」・・・二枚貝に見えます。・・・右は「菊水」・・・楠公の紋章ですが、「フネ」というと、天一号作戦を連想します。これは「松竹梅」。うちの息子も「大輪」に挑戦。うちに帰って「松竹梅」と、「大輪」に取り組んでいました。
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19:36
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羊蹄丸の2。
2012年06月17日
船内、エスカレータで降りてさらに階段を降りたところに、青函ワールドがあります。レールが残っているところを見ると、連絡船本来の役割でもある、車両を搬送した部分のようです。昭和のいつの時代なのか、かの地の暮らしぶりを再現したもので、等身大の人形が、町並みや、連絡船のりばの雰囲気を再現しています。どこか特徴的な人形で、もしかすると知っている人は知っている作者のものなのか・・・やっぱりどことなくコワいですね。ところで、私は、青函連絡船に乗るのはこれが最初で最後で、実のところ北海道にも行ったことがありません。一番北に行ったのは、山形県の鶴岡市で、会社の出張でした。25年ほど前、ホテルの名は「五番館」。ネットで確認すると現存してます(普通のビジネスホテルです)。装置のランニングチェックで一人残っていたのですが、それも15時頃に終わって、帰りは夜行列車に乗ろうと考え、映画館で晩まで暇をつぶしました。見た映画は、デミ・ムーアの「セント・エルモス・ファイヤー」とケヴィン・ベーコンの「クイックシルバー」。当時は2本だてだったんですね。85年と86年の作品なので、出張したのもその頃です。日本海側を、寝台特急「日本海」だったのか、それとも鈍行だったか、とにかく夜行で帰ってきて、当時のI井係長さんのご推薦「富山名物の鱒寿司」を買ったように記憶しています。夜行列車を出張に使うと、車中泊を初め、かなり加算日当がかかることになりますが、咎められることもなく、良い時代だったんですね。当時は不況の底が見え始めた頃で、ほっとしたのでしょうね。
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17:53
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羊蹄丸。
2012年06月16日
6月9日、新居浜に青函連絡船の「羊蹄丸」を見学に行ってきました。松山に行く用事があったのですが、キャンセルになり、新居浜に直行。ICを降りて5-6キロ東に戻り、10時過ぎに新居浜東港に着きました。ローソンチケットの前売りは、ローソンが新居浜にあるか知らないので、高松で購入。ラッタルというか丈夫な階段をのぼって、羊蹄丸の中に入ります。
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22:03
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海野宿の3。
2012年06月14日
海野宿で買ったくるみは、こんなのです。大柄で殻が割れやすい。とっくに食べたと思っていたら、まだこんなに残ってました。
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19:15
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伊勢の神宮。その後。
2012年06月13日
伊勢の神宮 内宮の参拝から足を伸ばして二見が浦の近くにある、伊勢・安土桃山文化村を覗きに行きました。入場料が結構かかるので、遠目に安土城の模擬天主を見ることに。内藤昌案の天主閣を想像していましたが、宮上茂隆案の模擬天主だそうです。
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23:03
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伊勢の神宮。その6。
2012年06月12日
五十鈴川を渡って、内宮に向かいます。二十歳の頃、伊勢にお参りに来たときは、先に四日市に寄りました。四日市には大阪万博のときの「オーストラリア館」が移築されています。そのときオーストラリア館を見に来ていたのは、私だけでした。オーストラリア館は、四日市の大気汚染にやられたためなのか、全体的にくすんだ灰色でした。それになんだか、想像していたよりも小さく感じたのです。今回は四日市に行けないだろな、なんて考えながら参拝します。ここから先は撮影禁止。参拝に専念。おかげ横丁を通って、お昼ご飯を食べます。雨上がりの涼しい風が、通り抜けます。
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22:03
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伊勢の神宮。その5。
2012年06月11日
この日は、あいにくの雨がときどき強く降りました。参拝客もまばらに感じます。伊勢の内宮に参拝するときには、ほとんどの方がこの横丁を通るのでしょう。ここには、雨や夏の日差しを避けるアーケードもありませんが、どうってことありません。開放的だし、町並みとして自然です。むかしの町並みといっても。全部が古いままって訳ではないでしょうけど、再生した建物を現役で使っていることに価値があります。もしも高松にこんなところがあったら、ちょこちょこ出かけて行きたくなります。高松だったらやっぱり「うどん横丁」になるんでしょうか。個人的には丸亀町グリーンより、リピーター多いのでは??と思ってしまいます。あ、自転車の乗り入れは禁止ですね。こういう建物を見ていると、近代的な建物、とくに公共建築、本当に約60年で。建て替えなくてはいけないのか、わからなくなります。60年が寿命ってことは、庁舎や校舎、これからどれだけの公共建築物が全国で建て替えになっていくんでしょうね。。。
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23:37
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伊勢の神宮。その4。
2012年06月11日
看板をいくつか紹介します。これは伊勢の名物「赤福」。利休饅頭。???百五銀行。これは新しそうな看板です。金丸座のような大衆劇場。おかげ座。射的・・・雰囲気あります。のれんを下げたお店もうひとつ。看板と言うよりポスターです。まる天。そういえばもうひとつ伊勢の名物「サザエのつぼ焼き」を撮るのを忘れていました。
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19:49
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伊勢の神宮。その3。
2012年06月10日
市営駐車場のすぐそばから、おかげ横町は始まります。赤福氷を注文。濃いめの抹茶のかき氷の中に、赤福餅が入っています。かき氷用にアレンジしているそうですが、やっぱり赤福の「あん」はおいしかったです。
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20:10
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伊勢の神宮。その2。
2012年06月10日
伊勢を訪ねたのは、これで3度目です。最初は、小学校の修学旅行でした。2度目は、二十歳過ぎの頃です。修学旅行は、大阪から近鉄特急に乗って行きました。オレンジ色の二階建て車両「ビスタカー」であったように記憶していますが、自信がありません。当時もおみやげやがたくさん並んでいました。この「おかげ横町」の沿道で当時も買い求めたのでしょうが、こんなにきれいに町並みが整備されていなかったはず。当時(・・・35年も前なんですね)はどんなだったっけなぁ、なんて思いながら歩きます。小学生の私は、何を買ったのか・・・ふつうに「赤福」を買ったのかも知れませんが、鳥羽で宿泊したので、日持ちのしない赤福を買ったかどうか、やっぱり憶えていません。当時の女子には「割れペン」など買っているのもいましたが、そういうのは買わずに・・・直径70mmほどの鋳物の家紋を買って帰ったのは憶えています。我が家の紋は「左三つ巴」です。三つ巴の巻き方って、どちらが左巻きで、どちらが右巻きなのか。未だに良くわかりません。その後、鋳物の家紋はどうなったのかというと、もったいないというか、使い道もなく「宝箱」のなかに仕舞われたまんまです。当時の修学旅行の宿泊先は、鳥羽にある木造の大旅館でした。大部屋と言うか、100畳単位に開け放した本当の大部屋で、6年生の6クラス、約240人が宿泊したのです。当時は子供が多かったし、大部屋での宿泊は当たり前だったように思います。あのころの大旅館はどうなってるんでしょうね。。。
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18:09
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伊勢の神宮。
2012年06月06日
尾張一宮を早朝6時45分に出て、伊勢へ。GWの5/1は平日なので名古屋市内は普通に渋滞していました。一宮ICから乗っておけば良かったと思いながら、カーナビに名古屋西ICをセット。伊勢は意外と遠かったです。外宮に参拝したのは、午前9時30分。一宮から3時間もかかっていました。
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20:40
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今日のうどん3。
2012年06月05日
綾川町陶の「たむら」へ。はしごの予定なので小を一杯。とくにうどんが好きな訳ではない父を連れてきましたが、喜んでました。つづいて飯山西坂元の「なかむら」へ。昔からのルートで入りましたが、定休日。入り口の横にあったドラム缶も撤去され、ずいぶんアクセスが良くなりましたね。20年以上前に初めてここのうどんを食べたとき感動して、以後ファンになりました。だんだんお客の手間がかからなくなるとともに味も魅力が無くなったように感じます。丸亀から坂出の「がもう」へ。正午ちょうどに着きましたが、休日に比べると全然空いています。釜揚げの小に冷やだしをかけて「あつひや」??これには父は麺の半分以上を私にくれました。ま、そういうことです。
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18:51
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南極観測船「ふじ」
2012年06月05日
水族館を出たのは18時。ガーデン埠頭に係留している南極観測船「ふじ」には今回も入れずじまいでした。船内は、「南極の博物館」になっているんですね。6/10まで新居浜で最終公開している、青函連絡船「羊蹄丸」とテーマは違うけど同じような使われ方ですね。
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09:17
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名古屋港水族館。
2012年06月04日
岡谷ICから中央自動車道で名古屋に向かいます。名古屋高速で六番北ICへ。水族館に入るとちょうど16時からのイルカショーが始まったところでした。長さ60m, 幅30m, 水深12mのプールに何頭のイルカがいるのか?数えてみると10数頭はいます。こんなに飛び跳ねてプールサイドに乗り上げないんでしょうか???イルカ以外も見るところが多く、あっと言うの2時間でした。去年のJR東海リニア・鉄道館のときと一緒、今回も岡山のtakaさんお勧めの宿で泊まりました。
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21:41
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海野宿の2
2012年06月03日
お食事処とお土産やの他に、ガラス工房がありました。これ欲しい。。。お店の方に了解いただいて中の様子を撮影してみました。緩やかなウェーブを描いたランプシェードや、ガラスの器、ガラス細工のうさぎをはじめ、今年の干支、龍も。。。奥にある、工房の横ではアウトレット品を販売していました。私には、その品質の違いがわかりません???
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21:55
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海野宿。
2012年06月01日
海野宿は、「うんの宿」と読みます北国街道の宿場町として栄えた町並みです。北国街道は、中山道から分岐しています。中山道の宿場町ではないためか、妻籠や馬籠、奈良井宿に比べると観光客がいません。GWの4/30。休日でこのぐらいです。宿場町の入り口には、お土産屋さん。この辺りの名物、いなごの佃煮や、はちの子など変わったものを売っています。ここは「くるみの里」。大きなくるみを一袋買いました。長野県民はみんな、くるみを手で簡単に割ることが出来ると、県民ショーで見ましたが、こちらのくるみは普通のより一回り大きいです。そして、割れやすい。手のひらの中にふたつくるみを入れて、尖った部分をもう片方のくるみの腹にあてながら強く握りしめると簡単に割ることが出来ます。確かに娘でも割ることが出来、ご満悦でした。このくるみ、お勧めです。うだつのあがっている家を見ながら、ぶらぶらと歩きます。あ、ここもうだつがあがっていますね。街道から少し入ると、修復されていない倉もあります。この家、階段が外にあります。古い家でこういうのはあまり見たことありません。一階の入り口は階段が邪魔で入れないような・・・信州や木曽路は、古い町並みが残っていて、昔からの生活を大事にしているんだなあって感じます。昭和から平成と駆け抜けてきて、生活が楽にになったかと思うと、製造業はどんどん海外へ進出。空洞化して若者の就職先がありません。なんだかおかしいですね。最後に通用するというか残るのは、明治や江戸時代以前の文化だったりして。
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22:19
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