本宿。
2013年06月17日
去年は、内山峠を越えて本宿に入りましたが、今年は、碓氷軽井沢ICから和美峠を下って本宿に入りました。ここに来る前日に寄った、妻籠宿などは街並を保護したので、宿場町として大変きれいに景観が保たれています。本宿も観光地化を目指している様子ですが、土産物屋がある訳ではなく、そうそう観光客が来てくれそうにありません。といって、放っておけば、古い街並はやがて失われてしまいます。江戸時代、中山道の脇往還(裏街道)として賑わった本宿は、信州に抜ける内山峠と和美峠の二つの道が分岐点でした。この街道は姫街道と呼ばれ、かつては女性が通ることが多く、善光寺参詣の旅人も通る交通量の多い街道でした。中山道の表街道は、松井田宿、坂本宿から碓氷峠を通って軽井沢宿に抜けるのですが、標高1,000 mになる、碓氷峠の俊険な山道と厳しい関所を避け、鏑川(かぶらがわ)沿いを通るこの道は、関東と信州を結ぶ重要な街道でした。馬籠宿や妻籠宿、奈良井宿ほどではありませんが、今でも江戸時代さながらに、姫街道の両側に昔ながらの家屋や土蔵が連なります。本宿は群馬県の南西部、下仁田町にあります。話は、かなり変わるのですが、この下仁田町にも中島飛行機(今の富士重工)の工場が建設されるところだったそうです。私の伯母が、学徒動員で中島飛行機に行っていた頃の話です。伯母は太田製作所、小泉製作所(大泉町)、本庄(埼玉)製作所と勤労奉仕先を転々とし、下仁田に部品工場を建設するという事で地元で奉仕していたそうです。その間に先の3工場はすべて空襲されました。下仁田工場は完成しませんでした。「下仁田駅から西へ、○○銃砲店の奥に工場の跡がある」父から今日聞いたのでメモしておきます。
Posted by レゴ大好きっ子 at 22:28│Comments(0)
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